2011年12月28日水曜日

掃いても掃いても

あ~今年も残すところ3日となりました。毎年のことながら、「山」生活者としては、かなり頭の痛い季節です。山の大木は次から次へと枯葉を落とし、その枯葉を風が至る所に飛ばしていきます。近隣の方々は熱心に枯葉を片付けますが、後から後からきりがないのです。そもそも元凶は我が家ですが、山を背負っている以上仕方のない事ではあります。出来る限り頑張ってはいるのですが、終わりが見えません。年々、時間の経過が早まって行くと感じていますが、我が家のように季節を身近に感じる場所にいると増々早くってマイリマス。いつもこのように年末を迎えるのですが、今年は特別です。3・11が私たちに残した爪痕はまだまだ生々しく、戦いは今もなお続いています。元来、政治家を信用しない私ですが、2011年ほど政治に失望した年はありません。来年こそと思いたいものの、メンバーが変わらなきゃ期待も出来ないですね。しっかりしてください!!日本国の政治家の皆さん!!と怒りながら、掃いても掃いてもまた積もる枯葉を日々片付けております。被災地の皆さんの現状に思いをはせれば、何のこれしきです。珍しく1月からライブ頑張ります。今年は出来る限り各地を回れるといいなと思っております。ギター一本担いで参りますのでどうぞ不肖豊島たづみを呼んでくだしゃれ。今からまたギターを箒に持ち替えて掃き掃除に突入です。掃いても掃いてもきりはないのですが、取りあえず掃きます。色んな事に感謝しながら掃いてきます。どうぞ皆様良い年をお迎えください。2011年は皆様のお蔭で充実した一年でした。ありがとうございました!!
TAZZ

2011年12月11日日曜日

画廊喫茶マリー

昨日から福岡県行橋市のホテルにおります。先日も同じホテルを使ったんですが、フロントに飾られた絵にすっかり心奪われてしまいまして。それは使い込まれた洗面器に水が張ってある、ただそれだけの写実的な絵。ずっと見続けていたい不思議な力を持つ絵なんです。フロントの隅っこに置かれたパンフレットを何気なく見ていたら、何とその洗面器を描いた画家増田信敏さんのプロフィールではないですか。そしてそこには「画廊喫茶マリー」に彼の作品が展示されていると書かれています。何!彼の作品を行橋で鑑賞できるの?フロントの女性に訊ねると「このホテルから歩いて1分の場所です」と。即、参りましたよ。そして増田信敏さんの世界に心底圧倒されました。しかもそこには増田信敏さんご本人が!!そして美しい奥様のS子さん。実は彼女、私の古い知り合いだったのです!絵画について語る言葉を全く持たない私ですが、フェルメールに恋した時と全く同質の感覚になりました。心酔しました!増田信敏さんの視線って凄い!凄すぎる!ハマってしまいました。
絵画を撮影するなんてとんでもない愚行とブログに載せる事を快諾して下さいました。今、私のホテルの部屋には、藤谷治著「洗面器の音楽」という本の表紙に使われた増田信敏作品が飾られております。S子さんの小粋なご配慮ではないかと勝手に想像し一人ニンマリしています。銀座薔薇画廊には彼の作品が常設展示されているとの事です。東京でも鑑賞できるなんて何て幸せ!本日、皆既月食。行橋は大変刺激的です。明日は中津でのライブ。もう一度画廊喫茶マリーを明日訪ねます!TAZZ

2011年12月2日金曜日

Hometown

11月26日27日のライブを終え帰って参りました。26日の行橋市のライブは旧友O氏が尽力してくれ、27日の小倉ループでのライブは中高時代からの友人E子、Mほ、M子の3人が、まさに微に入り細にわたる準備をしてくれて実現しました。忙しい中、全くのボランティアで4か月前から動いてくれた友人たちに感謝感謝です。音響、映像、照明の皆さん、宣伝のために快くポスターを貼ってくれたお店の数々、そして何より当日のライブに集まって下さった沢山の人達に心から感謝します。O氏や熟年女子E子、Mほ、M子の努力に報いるライブが出来るのか?日程が近づくにつれ、私のプレッシャーは日々巨大化する一方で。この4ヶ月間、私の意識からこの2日が消える日は一度もありませんでした。だからこそ大緊張しました!しかし気づけば、皆の温かい思いが私に力を注いでくれてどうにか終えることが出来ました。熟年となった仲間たちと再会すれば、それぞれにそれぞれの人生があって、泣いたり笑ったり。昔の歌にも今の歌にも熱心に耳を傾けて聴いてくれて、私の57回目の誕生日は連日大変嬉しくて、有難くて印象深いものになりました。
もうすぐ81歳になる母がいろんな事柄を忘れるようになってから数年がたちます。私が見舞うと、「Tちゃん遠い所来てくれてありがとう!」と名前も顔もまだ覚えてくれています。ただし三日間ほど続けて訪問しても全く同じ挨拶。昨日の事や直前の事はなかなか記憶出来ません。母の活きている記憶は、たった今の事とずっと昔の楽しい思い出たちです。幼い日の記憶は母の脳裏から簡単には去りません。そんな母を見るにつけ、私のHometownは何処だろうと考えるようになりました。母は私たち4人の子供を儲ける26歳くらいまで自分の生まれた家を離れることはありませんでした。それに比べ、私は18歳まで4回も引っ越しをしました。だから自分のIdentityにいつも不安を感じています。私の子供たちは大人になるまで同じテリトリーで過ごしましたので、彼らは何の疑いもなくHometownを感じることが出来るはずです。記憶の濃淡は、経験した時間によるものだとずっと思っていましたが、どうもそれだけではないようです。両親は円満でしたが、母は父と長い時間過ごした土地の名前を上手く思い出せません。しかし自分の生まれ育った場所は、心の底の方にあるせいかよく覚えていて、今もそこにいるような気がしているようです。私の勝手な想像ですが、人が精神的に一番強いインパクトを受けるのは思春期じゃないでしょうか?そしてその時間を過ごした場所をHometownと認識するのではないでしょうか?まさに今回ライブをして実感したんです。私は上京してもうすぐ40年になります。この頃母を追いかけるように色んなことを忘れます。でも子供だった頃の記憶は不思議に鮮明です。私にもHometownがあったんだと今回いたく安堵しました!こんな素敵な時間を与えてくれた仲間とHometownに感謝します!!そして来週はお隣の大分県中津市でのライブに向かいます。また母と一時の再会です。
TAZZ