昨日O駅のホームで帰りの電車を待っていたら、真新しい夏服に大きなランドセルを背負った小さな1年生の女の子とお母さんが私の目の前に立っていた。こんなに小さい頃からの電車通学も大変だなあと思いつつ、ふと周りを見渡すとちょうど下校の時間とあって向かいのホームにも私学の小学生が沢山いた。電車が来て、私達は同じ車両に乗り込んだ。空席だらけで、私もゆっくりと座り、その親子も私の左斜め前の席に座った。すると急にとんでもない大きな声がして。びっくりして見ると、お婆さんが何か怒鳴っている。怒りにまかせて大声をあげている。誰に向かって叫んでいるのかと見たら、先ほどの女の子と同じ制服を着て座っている3人の子供たちに対してのようだ。すると私の左斜め前に座っていた女の子のお母さんがスッと立って、3人の子供たちの前に移動しそのお婆さんに静かにお辞儀をした。お婆さんはうろうろ歩きながら、そのお母さんの肩をこずいて訳の分からぬ罵声を浴びせ続ける。3人の子供たちは怖がってシクシク泣いている。母親がいなくなり1人残されて、不安そうにその様子を見ていた女の子に、そのお母さんは遠くの方から目で「大丈夫」と何度も合図を送っている。その女の子の隣に行ってあげようと思った瞬間、やはり側で様子を見ていた若い女性が女の子の横にぴったり寄り添って座った。良かった!!と思った時、ちょうどK駅に着いた。どうもその親子と3人の子供の中の1人は私と同じこの駅で降りるようだ。2人の子供を残しては降りられないとお母さんが躊躇していたその時、先ほどの若い女性が残った2人の子供の手を取って前方の車両にさっと歩き出した。その若い女性は、女の子の母親に「任せて」と目で合図を送る。電車のドアが閉まり、女の子の母親はその女性にお辞儀をして、口元だけを動かして「宜しくお願いします」とホームで見送った。その怒りが充満した老婆をただ責めることはできぬ。この社会の歪みの産物だ。明日は我が身かも知れぬ。考えてみれば怒れる老婆で良かった、物騒な世の中だ、刃物を持った若者だったりしたらこうは行かないだろう。小さな女の子はきっと自分の母親の行動を誇りに思う時が来るし、友達のお母さんとまた見ず知らずの若い女性に守られた子供たちもきっと心強かったに違いない。猛暑の中に見た美しき連携プレーは、私を清々しい気分にしてくれた。電車を降りて買い物を済ませ、帰る途中、雷が鳴り始めたと思ったら大雨洪水注意報の放送が聞こえてきた。
TAZZ
電車通学の子供たちは、こういうことでいち早く社会を経験していくんですね・・
返信削除それにしても車両の中って色々なことがあってその時代の「縮図」そのもの・・
いかに今の世の中の「秩序と道徳」が乱れているのかがわかる。腹の立たない時の方が少ない。
でも、本来なら私たち大人がこの機転をきかせて連携プレーで行動した彼女たちのように、常に行動できる気持ちを持ち合わせていなければならないのでしょうね。
偶然発見、遭遇!「俄」
返信削除そのお婆さんはなんなんだったんすかね、、、。
返信削除なんの為に月日を重ねて生きてきたんでしょうね、、。
気の毒ですね、、、。
みきさん
返信削除失礼なことは重々分かっております。
ですが、あえて書かせて頂きます。
コメントの2行目はいかがなものかと…。